廣峯神社 | 【公式】姫路 国指定重要文化財
文明17年 (1485) 3月18日に「金剛仏子順宗」によって「広峯牛頭天王之御宝前」に奉納されました。 タテは21.9cm、ヨコは29.0cmで すので、小型の絵馬です。 右上の梵字は薬師如来を表し、仏教と結 びついた宝珠を描いたこの絵馬から、廣峯神社の神仏習合の様子を窺うことができます。
羽柴秀吉が織田信長の命を受けて播磨攻略にかかるのは天正5年(1577)10月、 播磨の制圧は天正8年6月のことでした。 この制札は、その年の7月28日になっていますので、制圧直後に出されたものであることがわかります。 広峯山の竹木は、猥りに切り取ってはいけない、という内容です。
正月14日に、かつて鬼会が行われていました。 赤鬼と青鬼が登場し、赤鬼は松明を、青鬼は矛をもって舞う鬼会は「天地斉整」の祭りとして、広く信仰を集めていました。 その伝統は、2月3日に行われる節分祭に受け継がれています。
廣峯神社は禁裏御所や仙洞御所などに「御祓」(御撫物)を献上していま したが、籠は京都との往来に用いられ たもの、漆塗りの箱は御撫物を納めるためのものでした。 道中の宿泊に際して、旅籠に「禁裏御所御撫物守護し奉る 粟野薩摩守泊」と書かれた木札が掛けられるほどにたいそうな役目であったようです。
この絵巻は、廣峯神社の祭礼と四季の景勝を描いています。 製作された時期は分かりませんが、漢詩を添えた前権大納言中山忠尹、和歌を添えた前中納言芝山持豊の生没年から十八世紀の頃に成立したことが分かります。 巻首に廣峯神社から播磨灘を臨む風景、続けて白幣山の社が描かれ、祈穀祭の馬駈式、新緑の広峰山、夏越の祓、千年松、御幸祭、広峰山の雪景色と、広峯の四季が美しく表現されています。
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