軍師官兵衛伝
日本一の天才軍師
黒田官兵衛を祀る神社建立。
官兵衛を詳しく知ることがことができます。
廣峯神社限定の官兵衛・光姫の御守
絵馬、おみくじなど、ゆかりの授与品も。
軍師官兵衛伝
黒田家三代
黒田官兵衛の祖父である重隆は、 備前福岡で仕官することも叶わず、牢 人のまま家族を連れて播州姫路に移り住みました。
そこで、手柄山の東側に居を構えていた廣峯神社の社家に出会い、その 勧めもあって播州で評判の廣峯神社 (廣峯城) に参拝します。
この時代の参拝の有様は、山頂まで登ってから神社周辺に点在した社家 (御師) 屋敷に寄って一息つき、それから社家の主に案内されてはじめて 本殿に参ると言うのが一般的でした。
このときに出会った社家たちと仲良くなった重隆は、仕官の道を探すた め度々廣峯神社に参拝し、 顔を知られるようになりました。
そして、重隆との会話からその知識力や聡明さに驚き、人柄を気に入っ た社家たちが重隆を助けたいと思い、 黒田家秘伝の目薬を神社の御札と一 緒に配りたいと申し出ます。
この目薬は農家の人々に評判が良く、大量に 売れたことから黒田家はたちまち財を成しました。
その資金を当時としては破格の低金利で農民に貸し、その代わりに黒田 家に奉仕する人を集め、家来を三百人程も抱えるようになりました。
牢人の身であった黒田家がようやく武家らしく身代を構えられたのです。
この話が社家たちより廣峯神社の大別当職であった廣峯長職へと伝わっ たことで、良き人物がいると長職の実兄で御着城城主・小寺政職へと紹介 され、 小寺家に仕えることとなり長年の夢が叶ったのです。
重隆が隠居して入道となり息子の職隆が家督を継ぐと、 職隆を大変気に 入った小寺政職は小寺家の養女を娶らせ義兄弟となりました。
さらに自分 の身内であると言うことから小寺姓を名乗らせ家老職に就かせました。
また御着城の出城であった姫路城城主に任命しました。
室町時代、天文十五年十一月二十九日に、 黒田官兵衛孝高(よしたか)こと 萬吉が姫路城で誕生します。
子供のころの官兵衛は、増位山随願寺の近くにあった地蔵院に住まいす る叔父の小寺休夢の所に出かけては歌や学問などを学んでいました。
また、休夢が廣峯神社の社家(御師)たちとも親しくしていたので、官 兵衛も一緒に廣峯神社によく訪れていたのではないでしょうか。
社家たち から様々な他国の話や陰陽道の話を聞くのは楽しく、そのつぶらな瞳を輝
かせていたことでしょう。
官兵衛が成長して父のあとを継ぐと、政職と長職の妹が嫁いだ櫛橋家の 娘である光姫を妻に迎え、 松寿丸 (長政) が誕生します。
官兵衛自身のもって生まれた才能に、子供のころから廣峯神社の社家た ちから得た様々な情報によって、 後に出会う秀吉からも怖れられた軍師と しての素質を高めて行ったのではないでしょうか。
官兵衛ゆかりの授与品
廣峯神社限定!官兵衛・光姫の御守、絵馬、おみくじです。
官兵衛ゆかりの地
黒田官兵衛に関連するサイトのご紹介。
ひめじ官兵衛プロジェクト
康保3年性空上人によって開かれた天台宗の修行道場の寺。
トム・クルーズ主演の映画「ザ・ラストサムライ」や今回の大河ドラマ「軍師・官兵衛」でも撮影場所となっています。
黒田官兵衛の叔父である小寺休夢(黒田高友)が増位山随願寺の近くに地蔵院を建て暮らしていました。
官兵衛の母と同様に和歌に優れていた叔父の所には、良く出かけては和歌や様々な学問を学んでいたと言われています。
播磨の黒田武士顕彰会
黒田官兵衛と長政父子と24騎、ゆかりの地の情報を発信しています。
ひめじ官兵衛プロジェクト
姫路出身の「黒田官兵衛」の情報満載の公式ホームページです。