神々の古事記
「天地の始まり」
神々の古事記
冠者殿社
宇宙の初め、天も地も渾沌としていた時、高天原と呼ばれる天の高いところに
神が次々と現れました。
最初の神は、天之御中主神、次に高御産巣日神(高皇産霊神)、神御産巣日神(神皇産霊神)。
そして、地が浮いた油のように頼りなく、くらげのように漂っている所に、葦が芽ぶき二柱の神が現れました。
現れた神々は独神で、すぐに身を隠されました。
この天と地の始まりに現れました五柱の神を別天津神と呼びます。
廣峯神社の本殿の裏に回ると、姫路市の重要文化財に指定されています。
冠者殿社があり、この御社に高皇産霊神と
神皇産霊神をお祀りしています。
高皇産霊神は、国譲りや天孫降臨、神武東征でも活躍されており、別名を高木神と言います。
神皇産霊神は、大国主神の受難や
国づくりにも登場し、少名毘古那神の
親神でもあります。
高天原を代表するこの二神は、どちらもモノを生み出す「産霊」のご神威によって、生産と生成を司る神様として崇められており、古くから農耕の守護神、豊作、安産、学業成就、縁結び、厄除け、開運招福等のご利益を願う人が参拝されています。
「神世七代」
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天祖父社・大鬼社
高天原と呼ばれる天の高いところに、天の神に続いて地の神々が現れました。
まず国之常立神、豊雲野神が現れすぐに身を隠されました。
次に宇比地邇神と須比智邇神が現れ、砂や泥が沼になりました。
次に角杙神と活杙神が現れ、沼地が固まり春芽も芽ぶき、意富斗能地神と大斗乃弁神が現れ、ようやく大地が固まりました。
次に淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神が現れ、喜びの声を上げました。
最後に、伊邪那岐神(伊弉諾尊)と伊邪那美神(伊弉册尊)が現れました。
この十二柱の神々を「神世七代」と言います。
廣峯神社の大鳥居から右手の旧参道を登っていくと、御旅所と呼ばれる広場にでます。
そこに天祖父社があり、伊弉諾尊と伊弉册尊をお祀りしています。
また、本殿裏の大鬼社にも伊弉諾尊をお祀りしています。
この二柱の神様は、廣峯神社の御祭神である素戔嗚尊の親神であられ、日本の国土をお生みになられた後も、自然、住居、生産に関する神様をたくさんお生みになられました。
天祖父社の傍には注連縄が張られた夫婦石があることから、縁結びや夫婦円満、子孫繁栄、家内安全、子授けを
祈願する方が参拝されています。
また、大鬼社には、災厄除けを祈願する方が参拝されています。
「国生み」
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蛭子社
伊邪那岐命と伊邪那美命が、天にかかる天浮橋に立ち、授かった天沼矛を海の中へ突き下ろし掻きまわして引き上げた。
すると矛先から潮が滴り落ち、積もりかたまって淤能碁呂島になりました。
その島に降り立つと、太い柱の広い御殿を建て、伊邪那岐命は柱を左に、伊邪那美命は柱を右に回って夫婦のかためを行いました。
最初に誕生したのは骨のない水蛭子でした。
次も上手くいかなかったので、天神に相談し夫婦のかためをやり直しました。
そして淡通之穂之狭別島(淡路島)、伊予二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐島)、津島(対馬)、佐渡島(佐渡島)、大倭豊秋津島(本州)をお生みになれました。
これらを大八島国と呼びます。
廣峯神社の随神門をくぐり、左に向かうと蛭子社があります。
この社に祀られているのは、国生みで最初に生まれた神様で、廣峯神社の主祭神である素戔嗚尊の兄神であられ、七福神としても親しまれています「えびす様」こと蛭子神です。
元々は大漁のご利益がある海の神様でしたが、海の幸、山の幸にかかわる市場の神様、農耕の神様としても信仰されるようになり、流通に関わる商売繁盛の神様として有名になりました。
廣峯神社では商売繁盛の御守も授与しています。
「神生み」
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本殿(右殿) 山王権現社
国生みを終えられた伊邪那岐命と伊邪那美命は、次に神を生み始められました。
最初にお生みになられたのは大事の成ったことを称えた大事忍男神。
そして、壁を作る石や土の神から、石砂の神、入り口や屋根を葺くことを称えた神、屋根の神、風害を防ぐ神までの家屋を守護する神々、続いて海や川を統べる神など水に関わる神々、さらに風の神、木の神、山の神、野の神、船の神、食物の神を次々とお生みになられました。
その最後に、燃え盛る火の神をお生みになったとき、伊邪那美命は大火傷を負い、煩って病床に就かれました。
その時、苦しみながらも嘔吐物や糞尿から鉱山の神、肥料の神、水の神、穀物の育成を司る神をお生みになられ、力尽き黄泉国へ旅立たれました。
廣峯神社の本殿に向かって左側の右殿には、農業や稲の成長に関わる風の神、級長津彦神と級長津姫神、穀物の育成を司る雅産霊神をお祀りしています。
また、本殿裏の山王権現社には鉱山の神である金山毘古神をお祀りしています。
この神様は製鉄や鋳物(農機具)に関わる神様としても信仰されています。
廣峯神社の春の大祭である御田植祭、祈穀祭に訪れられたときには、ぜひ参拝され五穀豊穣をご祈願下さい。
「禊祓い」
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本殿 天祖父社
伊邪那岐命は妻を恋しく思い黄泉国へ降った。
しかし、伊邪那美命の醜い姿を見て、恐怖に凍りつき、一目散に逃げ出しました。
逃げ帰った命は「私はすっかり穢れてしまった。
禊をしなければならない」と言われました。
そこで、筑紫の国の朝日射す、橘の木の青々と生い茂った、海に近い河口あたりの阿波岐原で、禊ぎ祓いの儀式を行いました。
命が脱ぎ捨てた衣類や装飾品からも神々が生まれ、命が河の中で身体を洗い清めると、さらに神々が生まれました。
最後に、左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと建速須佐之男命が誕生しました。
命は、私は三柱の尊い御子を得ることができたと喜ばれ、高天原、夜之食国、海原をそれぞれ治めよと御子たちに命じました。
この禊祓いは、神社で参拝する前に行う手水の作法(手水舎にて手や口を洗い身を清める)の始まりとされています。
廣峯神社の本殿中央には、主祭神である素戔嗚尊を、右殿には禊ぎ祓えで誕生した久那斗神、八衢彦神、八衢姫神の三柱の道祖神をお祀りしています。
この道祖神は外部から進入しようとする悪神を防ぐ神さまです。
御旅所にある天祖父社には、素戔嗚尊の姉神であられ、日本の総氏神さまであられる天照大御神をお祀りしています。
「誓約」
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本殿(右殿)
海原を治めよと命じられた建速須佐之男命は、命令に従わず日々泣きわめいていました。
その理由を父神の伊邪那岐命が尋ねると、母のいる根之堅洲国へ行きたい、と答え父神を怒らせました。
そして、国を追放された命は、姉神の天照大御神に挨拶をしてから母の国に行くことにしました。
高天原に上ってくる弟神。
これは良く無い事が起きると思った姉神は、戦支度をして待ち受けました。
私はけっして姉神に背くつもりはありません、との言葉に、二神は誓約を行うことにしました。
姉神は、弟神の十拳剣を噛み砕き、ふっと吹き出して三柱の女神を、弟神は、姉神の勾玉を噛み砕き、ふっと吹き出して五柱の男神を生みました。
廣峯神社本殿に向かって左側、右殿にお祀りする八柱の王子神たちは、誓約により誕生した神々なのですが、神社を創建した吉備真備公の定める暦神として見ると、素戔嗚尊と奇稲田媛命の間に誕生した神々となります。
暦では、奇稲田媛命が恵方に座し、八王子神が凶方位を守護すると言われています。
三女神は、海の神様で、漁業、海運の神と崇められ、五男神は、農耕神の父神と同じように、農業の神様として信仰されています。
また、市杵嶋姫命は七福神で知られる弁財天であり、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊は皇室の祖神でもあります。
「天石屋戸」
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庚申社
悪行を繰り返す須佐之男命を怖れ、天照大御神は天石屋の奥深くに籠られました。
すると、太陽が沈み暗くなり、悪い神々が騒ぎ始め、禍という禍がおこりました。
困った神々は天安河の河原に集って協議し、智慧者である思金神に相談しました。
思金神は、榊の木に八咫鏡と五百個の勾玉を飾りつけた御幣を作らせました。
そして、天石屋戸の前で天宇受売命がおもしろく踊りだし、集まった神々は声を合わせて笑いました。
賑やかな外の様子が気になり、天照大御神が戸を少し開くと、隠れていた天手力男神がその手を持って引き出し、天石屋戸に注連縄を張りめぐらしました。
こうして、天照大御神がふたたび姿を現したので、
天上も地上も明るく輝きました。
廣峯神社の本殿裏にある庚申社には、猿田彦命と天鈿女神(天宇受売命)の夫婦神をお祀りしています。
この天鈿女神は、天石屋戸の前で初めて踊りを披露したことから、舞踊、音楽、歌舞伎、狂言、能、映画、演劇、お笑いなど、すべての芸能の守護神と崇敬されており、多くの方から信仰されています。
ご神前にて神楽を奉納する巫女の原形とも、また、宮廷祭祀に関わる猿女君の祖神や福の神とも言われています。
交通安全の神様である猿田彦命とは天孫降臨の時に出会います。
「八俣の大蛇」
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本殿(左殿)
高天原を追放された須佐之男命は、出雲の国に降られました。
そこに流れる肥河の上流で、老夫婦が若い娘と涙していました。
命が訳を尋ねると、「私どもには初め娘が八人おりました。ところが不幸なことに、八俣の大蛇という怪物が毎年、娘を一人ずつ餌食といたします。
最後に残った娘も餌食になるのかと思うと悲しくて泣いております」と答えた。
命は老夫婦に「私は天照大御神の弟である、「娘を妻にくれないだろうか」と言われると、老夫婦は「これは恐れ多いことでございます」と提案を受け入れました。
命は老夫婦に命じて、強い酒を醸し出し、八つの門を作り、八つの酒槽を用意させ、大蛇退治の策をめぐらしました。
そして、酒に酔って寝てしまった大蛇の首を次から次へと切りはなしました。
さらに、大蛇の胴体を切り刻むと太刀がでてきました。
この太刀を草那芸の剣と言います。
廣峯神社の本殿(右側)には、老夫婦の足摩乳命と手摩乳命、その娘で素戔嗚尊の御后神である奇稲田媛命をお祀りしています。
奇稲田媛命は、美しい稲田を表す農業の神さま、また、素戔嗚尊と縁を結んだことから縁結びの神さまや暦の恵方の神さまとして崇敬されています。
老夫婦は、稲田を大切に育てる農業の神さまとの信仰を集めています。
「八雲立つ」
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本殿(右殿)・稲荷社
八俣の大蛇を退治した須佐之男命は、櫛名田比売との婚儀を行うため、出雲の国に宮殿を建てることにしました。
この地に宮殿をつくろうとしたとき、白い雲が幾重にも立ちのぼるさまを見て命が歌を詠まれた。
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」そして、櫛名田比売と結ばれ、八島士奴美神が生まれました。
また、大山津見神の娘、神大市比売を妻として、穀物の神である大年神、同じく宇迦之御魂神を生ませました。
この八島士奴美神より五代先に大国主神が誕生します。
その後、須佐之男命は母の国を訪ね根堅洲国へと旅立ちました。
廣峯神社の本殿(向かって左側)には、素戔嗚尊の御子神である大年神、さらに孫神等が祀られています。
この大年神は年神さまと呼ばれ、正月に飾る門松や鏡餅はこの神さまを迎える依代であり、毎年、新年にやってくる大変おめでたい神さまでもあります。
本殿裏にある稲荷社に祀られているのが倉稲魂命(宇迦之御魂神)で、一般には商売繁盛の神さまとして有名です。
しかし本来は、五穀(米、麦、粟、きび、豆)と養蚕を司る穀物神であり、産業振興や家内安全、芸能上達でも信仰される人気の神さまです。
歌を詠んだ素戔嗚尊は、文学、学問の神さまでもあります。
「八十神との戦い」
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本殿(正殿)
素戔嗚尊より六代後の子孫である大国主神には、八十神と言われるたくさんの異母兄弟がいました。
この八十神が八上比売を妻にしようと稲羽に出かけましたが、あっさりと断られてしまいます。
その上、弟の大国主神が夫に選ばれたことに皆腹を立て、殺してしまおうと相談を交わしました。
そして、稲羽から帰る途中、真っ赤に焼けた大きな石で弟を焼き殺してしまいます。
が、その事を聞いた母神が高天原に願いでて生き返らせます。
すると今度は大きな樹の間に挟みこんで殺しますが、再び母神によって助けられます。
母神は、大国主神を木の国の植樹の神さま大屋毘古神のもとに逃がしました。
そして、そこから根国へ行きなさいと命じました。
廣峯神社の本殿(真ん中)には、主祭神である素戔嗚尊と、その御子神である五十猛尊(大屋毘古神)が祀られています。
五十猛尊は、父神である素戔嗚尊と一緒に高天原から新羅国に天降りましたが、そこでは暮らさずに日本に渡ってきました。
その時、多くの木種を持っており、国土全体にその種を植えられたので、日本は樹木が茂る緑豊かな国になりました。
一般には植樹の神さまとして信仰されていますが、廣峯神社では素戔嗚尊が農耕の神さまであることから、木工品(農機具)の神さまとしても信仰されています。
「天孫降臨」
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庚申社
葦原中国を治める大国主神から天神の御子が国を譲り受けることになりました。
そこで、天照大御神は日嗣の御子に、かの国に降って治めなさいと言われました。
すると日嗣の御子は、私の御子である天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命を降しましょうと答えられました。
邇邇芸命が下界へ降られる時、その行く手に神がいました。
天宇受売命が行って尋ねると、私は国神で、猿田毘古神と申します。
道案内役をつとめに参りましたと答えられました。
そして、邇邇芸命とその一行は猿田毘古神に案内され、筑紫の日向にある高千穂の峰に天降られ、その地に宮殿を築かれました。
廣峯神社の本殿裏にある庚申社には、猿田彦命(猿田毘古神)と天鈿女神(天宇受売命)の夫婦神をお祀りしています。
猿田彦命は、天孫降臨で道案内をしたことから、道開き、交通安全の神さまと信仰されています。
その容姿は、背丈が七尋(12.6㍍)もあり、鼻が高く天狗のようなお顔で、目は大きくてホウズキのように真っ赤に輝いているという異様な神さまです。
廣峯神社では、田畑の神さまとしても崇敬され、妻神である天鈿女神とも仲良く暮らされたことから縁結びや夫婦円満のご利益を求める方がお参りされています。
「山幸海幸」
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冠者殿社
邇邇芸命は笠沙の岬で、みめうるわしい乙女に出会った。
命がその乙女を妻にしたいと父の大山津見神に伝えると、木花之佐久夜毘売、姉の石長比売を一緒に添えて嫁がせてきました。
しかし、姉は顔が醜かったので返されてしまいます。
その夜、ふたりは寝所で一緒に寝ました。すると、翌日には毘売が子供をみごもります。
一晩で子供を妊んだのはあやしいと疑った命に対し、毘売は産殿にこもり火を放って、もし天神の子ならば無事に生まれるでしょうと言われました。
火が盛んに燃え上がった時に生まれたのが、火照命(海幸)、次に火須勢理命、次に火遠理命(山幸)の三柱の御子が誕生しました。
この山幸彦の孫の神倭伊波礼毘古命がのちの神武天皇です。
廣峯神社の本殿裏にある冠者殿社には、産霊の神さまである高皇産霊神、神皇産霊神と一緒に、木花咲耶姫神(木花之佐久夜毘売)をお祀りしています。
この神さまは、お産のときに産殿に火を放ち、無事に三柱の御子をお生みになられたことから、安産・子授けの神さまとして広く信仰されています。
また、その名から生花業、その美しさから美容院や理髪店の人々からも崇敬される神さまです。