廣峯神社ものがたり
「九星詣り」
廣峯ものがたり(一月)
九星守護神と裏参り
神社へ参拝すると、お賽銭を入れて鈴を鳴らし、お願い事だけをするという方って多いですよね。
お願い事をする前に、まずは日頃の神恩に感謝申し上げてから、お願い事を祈るのが正しい参拝の作法ではないでしょうか。
神社によっては表参りで神様に感謝し、裏参りで祈願するというところもあり、廣峯神社ではこの裏参りのことを『九星詣り』と言います、と神主さんから教わりました。
この九星詣りについてお伺いすると、廣峯神社の本殿裏には、願いが叶うと言われる九つの穴があり、それぞれの穴には、一白水星から九紫火星までの九星の守護神が鎮座されていて、自分の生まれ星の守護神が鎮座する穴に向かって祈願ごとを囁きかけるという参拝を九星詣りと言い、この作法は昔から行われているそうです。
九星は、陰陽道において人の万象の運命変化、性格・家相の吉凶を判断するものとして知られ、神社のこよみにもその年の運勢などが紹介されています。
最近では、九星祈願札と九星御幣、九星守りを合わせた九星詣りセットも授与されていて、その人気は高く、団体旅行客の間ではちょっとしたブームになっているようです。
初詣に、こよみの神様を祀る陰陽道縁の廣峯神社へ参拝して、九星詣りで新年をぜひとも良いとしにしたいと思います。
「災厄祓い」
廣峯ものがたり(二月)
素戔嗚尊と鬼神
姫路の書寫山、増位山、広嶺山には、圓教寺、随願寺、廣峯神社があり、神仏霊場の「ひめじ三山」と呼ばれています。
この三山に共通していることと言えば、悪鬼(災厄)を追い払う正義の鬼がいるということ。
一般に鬼というと災いをもたらす悪者のイメージがありますが、この三山では、神仏が恐ろしく力強い鬼の姿に化身して、悪鬼(災厄)を追い払い、人々を救うという信仰が古来より続いています。
廣峯神社では、二月三日から四日の昼夜を通して行われます「節分・立春厄除大祭」にて、御神殿の中に素戔嗚尊の神使である赤鬼・青鬼の御面を飾ります。
また、二月三日の節分祭では、宮司さんが「鬼は内、福は外」と福豆をまきながら掛け声をかけられています。
なぜ?そのような掛け声なのですかとお尋ねすると、廣峯の大神様が巷で悪さをしている悪鬼を捕らえてご本殿に封じ込まれ、皆さんに幸福を授けられるからですよと教えていただきました。
なるほど、正義の鬼神が災厄を祓い、人々を幸せにしてくれるということなのかと思いました。
この節分・立春厄除大祭の期間中は、前厄・本厄・後厄にあたる女性の三十二歳~三十四歳の方、男性の四十一歳~四十三歳の方、大厄にあたる還暦の男女の方々が厄除祈願に参拝されています。
「暦のはじまり」
廣峯ものがたり(三月)
吉備真備と陰陽道
日々の暮らしから祭事や仕事に至るまで、いつ頃に何を始めれば良いのかを知るために「こよみ」が使われています。
現在では、今年の恵方に厄年、九星や日々の運勢、生活に関する知恵など、実に様々な情報が掲載されていますが、こよみはもともと中国から伝わってきました。
廣峯神社の由緒記には、創建者である吉備真備公が遣唐使(留学生)として唐(中国)に渡り、永き十八年をかけて十三道の学問を修学。
特に陰陽を極め、帰朝後に陰陽暦学を世に広めたいと考えたとあります。
そして、日本の神々を唐ノ国の暦神におきかえ、素戔嗚尊を牛頭天王・天道神に、奇稲田媛命を頗梨采女・歳徳神に、天照大御神との誓約で誕生した八王子の神々を八将神に配して、こよみを司る日本の暦神とし、廣峯神社の本殿に祀ったと書いてありました。
このことから廣峯神社は「こよみの神様」を祀る暦学の元宮とされ、農耕を中心とした国民生産の神様、また、吉凶の方位を示す方除けの神様、牛頭天王の故事に由来する病気平癒の神様、海陸交通厄難除けの神様として篤く信仰されるようになり、その信仰は広範囲に及んだようです。
ちなみに「こよみ」の方位吉凶図の恵方・あきの方の絵柄は奇稲田媛命で、太歳神、大将軍他は八王子をあらわしています。
「日本の食」
廣峯ものがたり(四月)
農耕神と国家安泰
広峰山の桜に誘われて、春の大祭を見物に廣峯神社に参詣する。
姫路市指定の重要無形民俗文化財である春季大祭『御田植祭』と『祈穀祭』は、一千有余年の歴史があり、古より綿々と続く日本の美しき伝統と文化を今に伝える貴重な祭礼になっています。
四月三日の御田植祭は、拝殿前に設けられた早稲・中稲・晩稲の仮田で、田人や早乙女たちが田植えの所作を行い、四月十八日の祈穀祭「穂揃式・走馬式」は、大きく実った稲穂を本殿に奉納して、秋にはこの様に豊かな収穫があるようにと祈り、ご神託により稲作の豊凶を占い、数頭の馬を走らせ五穀豊穣を祈願します。
この一連のお祭りは、全国的にもたいへん珍しいそうです。
宮司さんによると、この春季大祭は、農耕神の素戔嗚尊と御后神の奇稲田媛命、その御子神たちに、日本人の主食であるお米の豊作と食の豊かな恵みを祈り、食全体の安全と安心、さらには国家国民の繁栄と安泰を祈願し、日頃の神恩にも感謝する重要な祭礼ですと教えて頂きました。
お田植囃が歌われ、昔ながらの衣裳で田植えする早乙女たち、王朝時代の武官の衣裳で馬に乗り、境内を颯爽と駆ける若者たちの姿に、古き良き日本を感じました。
また、播州地方の農家、農区の方も多数参拝され、五穀豊穣を祈願されていました。
「夫婦の絆」
廣峯ものがたり(五月)
素戔嗚尊と奇稲田媛命
休日にふらりと訪れた廣峯神社で結婚式に遭遇する。
朱もうせんが映える拝殿の中央に、初々しい婚礼衣裳のふたりが座り、それぞれの親族たち、友人らが、優しく見守っている様子が微笑ましく感じられました。
国の重要文化財である本殿・拝殿を舞台にした神前挙式。
ほかの結婚式場のような華やかさはないが、荘厳な雰囲気が漂い、本物の優雅さに溢れていました。
廣峯神社は、ご本殿に鎮座する素戔嗚尊と奇稲田媛命がご夫婦と言うこともあって、縁結びの神社としても広く知られ、毎年、数十組のカップルが神前挙式を挙げられているそうです。
その素戔嗚尊と奇稲田媛命との出会いは、日本神話で有名な「ヤマタノオロチ退治」に登場します。
出雲に住む足名椎命と手名椎命夫婦の末娘を、八つの頭と八つの尾を持つ巨大な大蛇ヤマタノオロチから見事に救い、そして助けた娘を妻に迎えました。
その時の喜びを歌に詠んだのが「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」で、日本初の和歌と言われています。
夫婦になると、様々な問題が多少なりとも生じるものです。
大切なのは相手を思いやる心と夫婦の絆。
そこで、廣峯神社の素戔嗚尊と奇稲田媛命の夫婦神にあやかって、幸せな家庭が築けるよう祈願してみましょう。
「おもてなしの心」
廣峯ものがたり(六月)
牛頭天王と蘇民将来
六月三十日は夏越の大祓の日。
廣峯神社の境内には、茅で作られた大きな輪が置かれる。
この大茅ノ輪は、人が立ってくぐれるほどの大きさで、少し涼しくなりはじめる午後四時、夏越の大祓・茅ノ輪神事が行われた後に参拝者らがくぐりはじめます。
この茅ノ輪神事は、半年間の罪穢れを祓い、無病息災を祈願するお祭りで、牛頭天王(素戔嗚尊)の故事に由来しているそうです。
その昔、牛頭天王は妻を娶るため南海へ旅をしました。
その旅の途中で裕福な巨旦の家に宿を求めましたが、汚れた姿を見た巨旦は嘘をついて宿泊を断りました。
その後、蘇民将来の家に行くと快く招き入れられ、貧しいながらも粟飯にて、心温まる精一杯のもてなしを受けました。
妻と子を得た牛頭天王は、帰る途中に再び村にやってきて、嘘をついた巨旦一族を疫病にて滅ぼしてしまいます。
そして、「おもてなしの心」を示してくれた蘇民将来には感謝し、茅ノ輪と蘇民将来の子孫の御神符を持てば、疫病(災厄)を除けることができると教えられたのが、このお祭りの始まりだそうです。
この蘇民将来を祀る地養社が本殿の西側にあり、輪をくぐった後に、災厄除祈願に参拝される方も多く、『蘇民将来子孫・七難即滅・七福即生』の魔除け輪守を受けられています。
「癒しの郷」
廣峯ものがたり(七月)
薬師如来と薬師堂
最近、パワースポット巡りの参拝者をよく見かける。
一番は九星詣りの本殿裏にある九つの穴、それと御柱祭の柱を立てる天と地を繋ぐ穴、白幣山の吉備社と荒神社の間にある磐座と、廣峯神社には神様のパワーを感じる場所がいろいろあるようだ。
その中でも、癒しのスポットとして注目されているのが薬師堂。
宮司さんによると、薬師如来は素戔嗚尊の奇魂の化身であり、そのご利益を頂こうと、病気平癒や安産祈願に参拝される方も増えているようで、近ごろは日常生活で様々なストレスを抱えている人、人間関係で悩んでいる人など、心の病を癒したい人たちの崇敬も集めているそうです。
廣峯神社の薬師如来像は、素朴な作りで優しい感じのお顔立ちをされており、拝見すると心が和み癒される感じが伝わってきます。
毎月一日、十八日の月次祭では薬師堂内で祈願することが許されますので、間近でそのお顔を拝見できます。
薬師堂のお祭りは、一月十四日の疫神祭と、鎮座縁日である七月十八日の薬師祭(午後五時より)があり、両祭日には願い事を書いた祈願木焚上神事(護摩祈祷)が薬師堂内で斎行されます。
尚、お祭りの当日に参拝できない方でも、前もって願い事を書いた祈願木を奉納しておくと、お焚き上げしてもらえるそうです。
「熱き男たち」
廣峯ものがたり(八月)
黒田家と御師たち
秀吉に天下を取らせた軍師として人気の戦国武将・黒田官兵衛。
その生涯を描いた歴史小説「播磨灘物語」に廣峯神社が紹介されていて、官兵衛縁の神社として参拝される方がよくいらっしゃいますよと宮司さんから伺った。
官兵衛の祖父である重隆が備前から播磨に移り住み、知人の紹介で廣峯神社に参拝され、信仰するようになり、御師(社家)たちに目薬の販売を委託して財を成し、その後、小寺家に仕え姫路城主になったという話が残っています。
その祖父と一緒に両親も参拝されたそうで、母のお腹の中に官兵衛が宿っていたことから、安産を祈願されたかもしれません。
この御師(社家)とは、御祈祷師から転じた名称で、伊勢の神宮や熊野三山、春日大社、日吉大社などにも居り、御師屋敷をかまえて宿坊を営み、参拝者の宿泊の世話から御祈祷、御札や御守、暦などを配布していました。
廣峯神社の御師組織は、播磨を中心に、但馬、淡路、摂津、丹波、丹後、若狭、備前、備中、備後、美作、因幡、伯耆にまでおよぶ各国を回って信仰を広めていたそうで、一地方の神社としては別格であり、神社に参拝する様を「蟻の熊野詣のようであった」と表されるほど、多くの参拝者が祈願に訪れていたそうです。
「神々の山」
廣峯ものがたり(九月)
新羅山と神功皇后
世界文化遺産「姫路城」の北にそびえる広峰山。久し振りにその山頂に参拝した。
緑豊かなこの山は、かつて新羅山と呼ばれ、紀元前の太古から、この地に住む人々が神籬を建てて神様を祀り、日々の祈りを捧げる神聖な山でした。
その後、神功皇后が三韓征伐に進軍する際、山上にて戦勝祈願を行ったところ見事に勝利し、帰国する際には、お礼参りを行ったとも伝えられています。
悠久の時を経た現代、石段を上がって随神門をくぐりぬけると、江戸時代に再建された拝殿と、室町時代に再建された、正面が十一間(約三〇㍍)もある壮大な本殿が姿を現します。
この荘厳な本殿の建築には、室町幕府八代将軍の足利義政も寄付をしたそうです。
本殿は、内陣と外陣に別れ、内陣はさらに正殿、左殿、右殿の神殿を並べる大変珍しい造りになっており、主祭神である素戔嗚尊と五十猛尊をはじめ、二十三柱の神々が鎮座しています。
そのご神前にて拝礼すると、心が清められ、自分自身を見つめなおす良い機会になりました。
この秋、太古より神々の坐す広峰山に参拝して、ありがたい御神徳を感じ、心身ともにリフレッシュしてみませんか?
「立身出世」
廣峯ものがたり(十月)
吉備真備と白幣山
廣峯神社に祀られている二人の偉人をご存知でしょうか。
その偉人とは、本殿裏にある天神社の神様、学問の神様として有名な菅原道真公。
もうお一人は、本殿横の山道を十五分ほど奥に進んだ、白幣山の山頂にある吉備社の神様、吉備真備公です。
道真公は平安時代、真備公は奈良時代と活躍した時代は異なりますが、家柄によって職業の決まる時代に、学者から大臣にまで大出世をしたのは、近世以前ではこの二人のみと言われています。
さらに神主さんから、この吉備真備公は廣峯神社とたいへん縁が深い方だとお伺いしました。
遣唐留学生であった真備公が、唐(中国)から帰国する途中、この地で神託を受けられ、そのことを聖武天皇に報告。天平六年(西暦734年)白幣山に社殿を創建したのが、廣峯神社のはじまりと伝えられているそうです。
平安時代(西暦972年)に社殿は現在地に遷され、その跡地に真備公の功績を称える吉備社が建立されました。
毎年旧暦の十月二日に、受験合格を祈願する「吉備祭」が執り行われています。
廣峯神社では、学業成就、立身出世の神様として崇められ、そのご利益を頂こうと、進学、就職試験を受験する学生たちが、合格祈願の絵馬を奉納しています。
「凶方占い」
廣峯ものがたり(十一月)
素戔嗚尊と方祟除け
秋色に染まる姫路の山々を眺めながら廣峯神社に参拝。
境内は、かわいい衣裳を着た七五三詣の子供たちとその家族、山歩きを楽しむハイキングの仲間たちで、いつもより賑っていました。
十一月十五日は、実はあまり知られていないのですが、廣峯三大祭のひとつ『御柱祭』の日で、夕刻になると御柱焚き上げ神事が厳かにはじまります。
境内の石畳の中央に建てられた高さ約5㍍の御柱を、斎火で燃やし、倒れた方角によって、翌年の凶方位を占うとても神秘的な神事で、夕暮れの闇の中、燃え盛る炎を見つめていると、自分が抱える悩みやさまざまな思いが浄化されていくように感じました。
一般に十一月十五日は七五三の日と言われていますが、陰陽道によると一年のうちで一番の大安吉日とされていて、陰陽道と縁のある廣峯神社の御祭神・素戔嗚尊の甦りの日でもあり、ご神威が最も高まる日とされています、と神主さんに教えていただきました。
また、農耕神、暦神でもある素戔嗚尊は、方位方祟除けの神様としても信仰されています。
よく方位方角が悪いと物事が上手くいかないと言いますが、商売先や旅行先、引越し先、家の新築先が凶方(悪い方角)に当たる方が、方位方祟除けの祈願を受けに参拝されているそうです。
「祈願成就」
廣峯ものがたり(十二月)
素戔嗚尊と三社詣
落ち葉舞う廣峯神社の境内。
七五三詣や行楽客で賑やかだった秋も終わり、神社ではお正月の準備が始まっていました。
この物静かな季節に参拝すると、三社詣をされている方を見かけることがあります。
その三社詣のことを神主さんにお尋ねしたところ、神さまの魂には人々に恵みや平和を与えてくださる和魂と、その反対に人々を苦しめる程の激しく荒々しい荒魂があり、また、和魂には幸福に満ち溢れる幸魂と、不思議な奇蹟の力を発揮する奇魂があることを教えていただきました。
さらに、廣峯さんでは主祭神である素戔嗚尊の幸魂をご本殿に、荒魂(牛頭天王)を荒神社に、奇魂(薬師如来)を廣峯薬師堂にお祀りしていて、この三社を巡って参拝し、叶えたい願い事を一心に祈ることを『祈願成就の三社詣』と呼んでいるそうです。
そんな話を伺っていると、自分でも三社を巡ってみたくなり、どの順番でご参拝すれば良いのか等をお尋ねしました。
すると、決まりごとは特にありませんので、気になる御社からご自由にご参拝下さいと案内されました。
病の克服、事業の立ち上げ、夢の実現など、人はいろいろな一大事を迎えることがあります。
そんな節目や転機を迎えた方にこそ、廣峯さんの祈願成就の三社詣をお勧めします。